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大阪地方裁判所 平成9年(ワ)7051号 判決

原告

田嶌政之

右訴訟代理人弁護士

須知雄造

権藤健一

松本洋介

尾川雅清

田中千博

被告

前田修

前田正治

前田武外二名

右三名訴訟代理人弁護士

木村圭二郎

明石法彦

被告

前田文雄

右訴訟代理人弁護士

松隈忠

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

一  主位的請求

被告らは、原告に対し、別紙物件目録三記載の土地について、明治三七年一月二七日時効取得を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

二  予備的請求1

被告らは、原告に対し、別紙物件目録三記載の土地について、昭和一二年一月二二日時効取得を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

三  予備的請求2

被告らは、原告に対し、別紙物件目録三記載の土地について、昭和四七年一二月二五日時効取得を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

第二  事案の概要

一  本件は、原告が、別紙物件目録三記載の土地(以下「本件土地」という。)の登記名義人である被告らに対し、本件土地についての、明治三七年一月二七日(主位的請求)、昭和一二年一月二二日(予備的請求1)又は昭和四七年一二月二五日(予備的請求2)の占有開始による時効取得を原因とする所有権移転登記手続を求める事案である。

二  前提事実

1  田島政治郎(以下「政治郎」という。)は、別紙物件目録一記載の土地(以下「原告土地」という。ただし、当時の地番は大阪市旭区豊里町〈番地略〉であった。)を所有していた(甲五から七まで)。

2  政治郎は、昭和一二年一月二二日隠居し、原告が、家督相続により、原告土地の所有権を取得した(甲一、五、一〇から一三)。

3  前田長次郎(以下「長次郎」という。)は、昭和九年五月八日、売買により大阪市旭区太子橋一丁目〈番地略〉、宅地、591.93平方メートル(以下「分筆前の被告土地」という。)の所有権を取得した(争いがない。)。

4  長次郎は昭和三〇年死亡し、妻タミと養子前田敬治(以下「敬治」という。)が長次郎を相続した。タミは昭和三七年死亡し、敬治がタミを相続した。敬治は昭和五五年死亡し、子である被告らが各四分の一の割合で敬治を相続した(争いがない。)。

5  敬治は、昭和四二年六月一六日、分筆前の被告土地について地積更正の登記手続をした(以下「本件地積更正」という。)が、本件地積更正においては、本件土地が分筆前の被告土地の一部に含まれるものとして扱われている(争いがない。)。

6  原告は、弁護士の山根瀧蔵に依頼して、敬治に対し、昭和四七年一二月二五日、本件土地が原告の所有である旨を記載した内容証明郵便(以下「本件通知」という。)を発送し、本件通知は、同月二六日、敬治に到達した(甲二二の1、2)。

7  原告は、平成九年六月一二日、被告らを相手として、本件土地の処分禁止の仮処分を申し立て(当庁平成九年(ヨ)第一五三七号)、同年七月三日、その旨の仮処分決定がされ、右仮処分決定に基づいて、分筆前の被告土地が分筆され、別紙物件目録二記載の土地(以下「被告土地」という。)及び本件土地となった(甲二、三、弁論の全趣旨)。

8  原告は、本件訴状で、本件土地について、政治郎が明治三七年一月二七日に開始した占有に基づく取得時効、原告が昭和一二年一月二二日又は昭和四七年一二月二五日に開始した占有に基づく取得時効を援用する旨の意思表示をした(当裁判所に明らかである。)。

9  本件土地は、原告土地の南側に位置し、両土地の間は道路で分断されている。被告土地は本件土地の南側に位置し、両土地は隣接している(争いがない)。

三  争点

1  政治郎が、明治三七年一月二七日、所有の意思を持って本件土地の占有を開始したか(主位的請求関係)。

(一) 原告の主張

政治郎は、明治三七年一月二七日、原告土地を購入し、その際、本件土地が、原告土地の一部に含まれると認識し、所有の意思をもってその占有を開始した。

本件土地はもともと原告土地の一部であったが、政治郎が、近隣の所有者とともに私有地を提供して原告土地の南側に道路を設けた際、本件土地と原告土地の間の部分を道路敷として提供したため、本件土地は原告土地の飛び地になった。政治郎は、本件土地が飛び地となった後も、本件土地で野菜を作るなどして占有を継続した。

(二) 被告らの主張

政治郎は、本件土地が原告土地の一郎でないことを認識し、かつ、本件土地と隣接地付近の地番の相違等につき熟知していたから、所有の意思のある占有とはいえない。

2  原告が、昭和一二年一月二二日相続により自主占有を開始したか(予備的請求1)

(一) 原告の主張

原告は、昭和一二年一月二二日の家督相続をきっかけにして、本件土地を、原告土地とともに政治郎から相続したと信じて占有を始めた。

(二) 被告文雄の主張

政治郎は、隠居後も議員として活動し、従前の自宅に居住していたから、原告が家督相続によって、本件土地を自主占有したことはない。

3  原告が、敬治に対し、昭和四七年一二月二五日ころ、本件土地について所有の意思があることを表示し、その後、本件土地の占有を継続したか(予備的主張2)

(一) 原告の主張

原告は、敬治が、昭和四二年六月一六日、被告土地の地積更正手続をするについての承諾書を提出したが、その際、本件土地が被告土地に含まれるものとして右地積更正がされたことを認識していなかった。原告は、昭和四七年になって、本件土地が被告土地に含まれるものとして右地積更正がされたことを知り、敬治に対し、本件通知をした。

原告は、本件通知により、自主占有であることを表明し、その後も本件土地を使用し続け、今日まで使用してきた。

原告は、弁護士に相談して内容証明を発送した以外にも、本件土地と被告土地との境界に鉄条網を設置したり、本件土地を測量するなど、本件土地の所有者として当然するべき行動をしている。本件通知に対し、前田家側から回答があったが、これに対し、原告は、反論を内容証明郵便で送付し、重ねて、本件土地が原告の所有である旨通知している(甲二三)。その後は、敬治あるいは被告らから本件土地の所有関係について何ら異議がなかったので、原告もあえて行動を起こさなかったが、平成九年四月ころ、突然、本件土地が工事用フェンスで囲まれたため、原告は、本件土地の処分禁止の仮処分を申し立てた。

(二) 被告前田修、同前田正治及び同前田武の主張

(1) 一定の土地の占有を継続したというためには、その部分につき、客観的に明確な程度に排他的な支配状態を続けなければならないものであり、宅地又は農地等と異なり、実際の使用収益がなされていない本件のような土地については、境界線の一部に鉄条網を張り、……あるいは立札を立てて境界くいを埋設するなどの行為をしたほかは、時々現地を訪れて様子を見たといった程度のことでは、時効取得に必要な占有があったとはいえないとされている(最判昭四六年三月三〇日判時六二八・五二、東京地判昭六二年一月二七日判タ六三九・一六五)。

原告が、所有権を主張する手紙を出した昭和四七年一二月以降においては、原告側においては、右東京地判におけるような管理・収益さえなされていないのであり、原告側に、取得時効の要件としての占有があったとはいえない。

(2) 形式的には本件通知がなされても、所有者であれば当然とるべき行動にでなかったなど、外形的客観的にみて他人の所有権を排斥して占有する意思を有していなかったものと解される事情がある場合には、その占有は、やはり他主占有である(最判昭五八年三月二四日判時一〇八四・六六)。

本件においては、本件土地の範囲が原告の所有地に属さないことが客観的に明らかであり、本来、原告の自主占有を認めるには慎重な態度が求められるべきところ、原告は、今回の訴訟に至るまで、移転登記手続の請求や固定資産税の支払もしていないのであり、本件訴訟提起までの原告の占有は全体として他主占有であると考えざるをえない。

4  権利濫用(抗弁)

(被告前田修、同前田正治及び同前田武の主張)

本件土地については、取引関係や境界が不明確であるなどの事情はない。原告は、敬治に対し、本件土地が分筆前の被告土地の一部であることを承認していた。原告は、本件土地について実質的な使用収益をしていない。

これらの事情に照らすと、原告による時効の援用は、権利の濫用として許されない。

第三  判断

一  争点1(政治郎による明治三七年一月二七日の自主占有の開始)について(主位的請求関係)

1  本件土地の占有開始について

(一) 証拠(甲七、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、政治郎は、明治三七年一月二七日ころ、原告土地を購入したが、政治郎が、原告土地に移り住んだのは、淀川の改修工事が終わった大正一二、三年ころであったと認められる。しかし、明治三七年一月二七日ころから大正一二、三年ころまでの間の原告土地の占有状況は、証拠上明らかではない。

(二) 長次郎が、昭和九年五月八日、分筆前の被告土地を前所有者である田嶌正太郎(以下「正太郎」という。)から購入した際に作成された分筆前の被告土地の地積測量図では、本件土地は、分筆前の被告土地の一部として表示され、右売買の対象物件とされている(乙四、五)。また、原告が主張するように、原告土地と同一地番の土地の一部であった本件土地が、道路敷を提供した際、これにより分断されたのであれば、本件土地には、分筆に当たり原告土地の地番に続く地番が付され、異なる地番の一部とされることはないのが通常である。これらのことからすると、本件土地は、もともと分筆前の被告土地の一部であったと認められる。

原告は本人尋問において、本件土地は原告土地と同一地番の土地の一部であったが、原告土地の西側に並ぶ土地である同所一七〇六番二、同所一七〇六番一の所有者である正太郎、吉富克治郎とともに、敷地の南側一部を拠出しあって道路を設置した際、原告土地と本件土地を分断するように道路敷の位置を定めたことから、本件土地が飛び地になってしまったものであると供述するが、右供述は、政治郎からの伝聞に基づくもので、もともとその証明力は高くないというべきであり、右認定の事実に照らすと、本件土地が原告土地と同一地番の土地の一部であったとの事実を認めることはできない。

したがって、政治郎が、明治三七年一月二七日ころの原告土地の購入と同時に、原告土地の占有を始めていたとしても、それと同時に、本件土地の占有をも始めたと推認することはできない。

(三) よって、政治郎が明治三七年一月二七日に本件土地の占有を開始したことの証明がないから、これを起算点とする取得時効の成立を認めることはできない。

2  なお、原告の主位的請求に関する主張が、明治三七年の占有開始が認められない場合には、証拠上認められる政治郎の占有開始時以降の取得時効を主張する趣旨であると解する余地もあるので、念のため、この点についても検討しておくこととする。

原告本人尋問の結果によれば、原告が小学生であった大正一二、三年ころには、政治郎が、本件土地に、自家消費するきゅうりやかぼちゃを植えたり、アジサイなどの花を植えたりして利用していたことが認められるが、政治郎は、当時の分筆前の被告土地の所有者であった正太郎とは、同じ平田村出身で、淀川改修工事を機に移り住んできたもの同士として親しく交際していた(原告本人)というのであるから、正太郎が、道路わきの28.24平方メートルほどしかなく、さしたる利用価値のない本件土地において、政治郎が、自家で食用に供するためのきゅうりやかぼちゃを栽培したり、アジサイなどの花を栽培していたからといって、いちいちそれについて異議を述べたりしなかったとしても、何ら不自然ではない。正太郎は、分筆前の被告土地を売却する時点で、本件土地がその一部に含まれているものとして売却しているから、本件土地が自己の所有地であるとの認識を有していたと認められ、また、その当時、本件土地は客観的にも分筆前の被告土地の一部であったから、その公租公課も正太郎が負担しており、政治郎はこれを負担していなかったと認められる。

右のような点からすると、大正一二、三年ころの政治郎の占有は、使用貸借に基づくものであると推認するのが合理的である。

したがって、政治郎の占有は、権原の性質上、所有の意思なき占有というべきであるから、これによる取得時効の成立を認めることはできない。

3  よって、原告の主位的請求は理由がない。

二  争点2(原告による昭和一二年一月二二日の相続を新権限とする自主占有の開始)について(予備的請求1関係)

1  原告は、昭和一二年一月二二日政治郎が隠居したことにより田嶌家の家督を相続したのであるが、原告本人尋問の結果によると、右家督相続当時、原告は、まだ大学生であり、本件土地の占有については、健在であった政次郎が、従前と同様の態様で利用していたと認められるから、原告が、政治郎の占有を家督相続により承継しただけでなく、新たに本件土地を事実上支配することによって占有を開始したとはいえない。

2  したがって、所有の意思のない政治郎の占有を承継した原告の占有が、相続を新権原として所有の意思ある占有へと転換したということはできないから、これを起算点とする取得時効の成立を認めることはできない。

3  よって、原告の予備的請求1は理由がない。

三  争点3(昭和四七年一二月二五日の本件通知以後の原告の占有継続)について(予備的請求2関係)

1  原告は、本件通知によって、当時の所有者である敬治に対し、本件土地について所有の意思があることを表示したといえる。

次に、その後の占有の継続が問題となるところ、取得時効の制度が、真の権利者の権利を否定してでも継続した占有状態を法的に保護しようとするものであることからすると、一定範囲の土地の占有を継続したというためには、その部分につき、客観的に明確な程度に排他的な支配状態を続けなければならないというべきである

2  証拠(甲二四、二五、二八、検丙六、八、証人前田徳子、原告本人、被告前田修本人)によれば、本件土地の本件通知以降の占有状況について、次の事実が認められる。

(一) 昭和四〇年代ころの本件土地の状況は、写真(甲二八)のようなものであり、一部に作物らしきものや木が雑然と植えられているものの、畑や植林地として整備されてはいない。

(二) 原告は、昭和四二年ころ以降、本件土地と被告土地との境界付近にシュロの苗などを植えたが、昭和四二年ころ以降、本件土地において野菜等は作っていない。

(三) 原告は、本件地積更正に当たり、本件土地が分筆前の被告土地の一部として手続がされたことを昭和四七年ころに知って、本件土地と被告土地との間に鉄条網を設置し、測量士に依頼して、本件土地と原告土地の測量を行った。

(四) 現在の本件土地の状況は、写真(検丙六、八)のとおりであり、雑草や雑木が茂っている。

3  右認定の事実によれば、原告は、本件土地と被告土地との間に鉄条網を設置したり本件土地を測量するなどしているが、昭和四二年ころ以降は、本件土地において野菜等の作付けがされたことはなく、シュロなどの雑木が雑然と植えられているにすぎないのであるから、仮に、原告がいうように、原告が年に一度その木の枝打ちをするなどして管理をした事実があったとしても、それが、本件土地についての客観的に明確な程度の排他的な支配状態を示すものとはいえないから、このような占有に基づいて取得時効の成立を認めることはできないというべきである。

4  よって、原告の予備的請求2は理由がない。

四  以上によれば、原告の請求は、その余の主張につき判断するまでもなく理由がない。

(裁判官森實将人)

別紙物件目録〈省略〉

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